徳川幕府御用の御鋳物師、渡辺近江大掾源正次の鐔です。正次は同じく鋳物師である父、正俊の子として、正保三年(西暦1646)京都で生まれており、延宝7年(西暦1679)には弘前藩(津軽藩)に抱えられた著名な鋳物師です。宝永元年(西暦1704)弘前で亡くなるまで仏具、花瓶、置物などの作品を多く残しており、江戸城の銅鯱、いわゆるシャチホコ(後に名古屋城に移管)も、正俊、正次父子の作です。本作は弘前にて藩命によって造られたと思われる作品で、瓢箪から駒や鶴仙人など様々な仙人の姿が描かれております。
<重要文化財「名古屋城、西北隅櫓 」にのる銅鯱の頭部に「萬治三庚子年二月吉日 御鋳物師銅意法橋 同子渡辺近江大掾源正次」「明治四十三年三月自東京城移之」と銘があります>
出典「江戸城、そして名古屋城の銅鯱」名古屋城調査研究センター朝日美砂子氏より