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無銘(二字国俊)

山城伝を代表する来派の名工、「二字国俊」の鎌倉中期の福岡一文字のような華やかな名作です。

来派の祖である国行の次代である「国俊」には「来」を冠しない所謂「二字国俊」と、「来国俊」と三字に切るものがあり、両者の関係については同人、または兄弟、親子の諸説があり現在のところは定説がございません。

まず同人説の論拠としては、「二字国俊」には弘安元年(西暦1278)の年紀を有する太刀があり、さらに徳川美術館所蔵である重要文化財指定の太刀「来国俊 正和四年(西暦1315)十月廿三日○○七十五歳」に行年の添えられた太刀がございますので、前記の弘安元年紀の国俊の作は38歳に当たることから年齢的には同人説に無理な点はございません。
次に兄弟説の論拠としては「解粉記」の記述があり、こちらに拠れば「二字国俊是は国行が嫡子也。若時死たり。来国俊国行が二男也。是より来の字を打初むる」とあり、二字国俊は早世であった為に弟の来国俊が跡を継いだとあります。
最後に親子説としては、徳川美術館所蔵の重要文化財太刀「来孫太郎作 正応五年(1292)壬辰八月十三日」は来国俊の作として伝来していることに論拠をおいています。この太刀の銘文に拠ると、来国俊は事実上の始祖「国行」の孫で且つ嫡子(太郎)であることを称しており、これに拠れば国行→二字国俊→来国俊の親子嫡子説も成立します。以上の通り古伝書からいくつかの説が伝わっておりますが、ほぼ同時代の長船長光にも二代説が言われておりましたが昨今の研究により一代説が最も有力となっており、国俊もおなじく一代説が有力な説となりつつあります。

なお双方の作風には大きな開きがみられ、「二字国俊」は丁子主体で小沸出来の華やかな刃文を焼いており、特に本作の様な特別な大出来のものは福岡一文字に紛れるほどのものがあり、作風は刃に沸がよくつき、映りは地沸状となる点があります。さらに「二字国俊」には来派の手癖である湯走り状の棟焼がみられ、棒樋の樋先は上がり茎に掻き通すのが通例です。かたや「来国俊」は細身の優しい姿をして直刃に小模様の乱れを交える穏やかな刃文を焼くものが多いため作風は区分されます。
この刀は大磨上無銘ながら、地刃良く冴えてよく詰んだ鍛えに地景が入り、刃縁に湯走り風の沸筋を交えて匂い口が明るく綺麗です。地刃共によく沸づいて冴え、同工の作風が随処に示された優品で棟には来物の手癖である棟焼きもございます。変化に富んだ丁子刃は頗る明るく二字国俊の特色がよく示されたものでまさに所伝が首肯されます。なお刃中に僅かに瑕があるものの巧く抑え込まれており美観を損ねておりません。

刃長 反り 元重 元幅 先幅
63.8cm 1.5cm 0.67cm 2.87cm 1.85cm

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附)黒皺革包太刀拵(特別保存刀装具)

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