日本刀を代表する名門の一つである波平の五十七代目、波平本家である大和守安行の刀です。藩主の命により備後守氏房の次男、伊豆守正房の門となっております。平安時代から続く名跡であり、薩摩刀を代表する名工の一人です。なお、西郷隆盛の側近で有名な村田新八の佩刀の一つも安行であったと云われます。
本刀の作風は新刀中でも沸が最も強く勢いがあると言われる薩摩刀に相応しく烈しく華やかであります。殊に本刀は正房にも見紛う抜群の鍛えで、また焼き刃も見事にまとまって同作中秀抜の作と言えます。総じて得意の志津写しを狙って烈しい覇気が顕われた優品です。なお本刀は日本海海戦時、一等巡洋艦吾妻の副長であり、舞鶴鎮守府参謀長などを歴任した東郷静之介少将の愛刀でした。幕末の肥後拵と桐箱、折紙が付属しています。以下付属文書より。
<大和守波平安行謹呈来歴評伝>
東郷静之介は薩州島津家家臣の子息として 慶応2年鹿児島城下にて出生、縁故となる東郷平八郎に師事する事猶予年。明治16年海兵13期として入隊。明治19年海兵卒、累進を重ね海軍中佐に至り、日露戦争には装甲巡洋艦吾妻副長を拝任され日本海軍海戦に進発。その際腰に在りましたのは【軍装サーベル】ことこの波平安行でありました。その後栄達を重ね海軍少佐昇進。【吾妻】艦と共に海戦に参加し大いに貢献。大正4年除籍。同艦は 裕仁親王【昭和天皇】熱田巡幸の際にも、金剛・比叡の実弾衝撃により転覆沈没。この時期供奉した松本一郎氏の御父君より子息一郎の後見を嘱望されこれを快諾。後に松本一郎氏、明治大学法科を卒業その際、御国に対し尽忠報国の意を確かめられ名誉の佩刀及び彼に贈呈となりました。
【松本氏略歴】衆議院議員⒋期を務め池田内閣の於いて科学技術政務次官、自民党全国組織副委員長、全農共済協会副委員長当歴任、農業事業に尽力これもひとえに東郷静之介、および明治元勲の薫陶に至ることは言うまでもなく、謹んでここに両君の評伝ならびに大和守安行贈呈の来歴とさせて頂きます。
恐恐謹言