白石家家伝
投稿日:2025年11月13日(木)
<甲斐武昌【かいたけまさ】 甲斐敦昌の四男、菊池武本から七代目。官途は兵庫頭。1552年、「押方城の戦い」で
甲斐氏(菊池氏流)の鑑昌の兄弟、<甲斐武昌>の子、昌足は、肥前の白石氏(「白石六郎通泰」の子孫)に養子に入った後、甲斐国の「武田信玄」に仕え、「百足衆」の一員となります。昌足は「武田勝頼」の守役であった「温井常陸介」の縁者だったので、武田家が滅んだ際に甲斐国を離れ旧西大輪村(現在の久喜市)に移住して帰農しました。
江戸時代に入ってから白石氏は、「黒田長政」の曽孫にあたる旗本、「小出英勝」に仕えます。小出英勝は、武勇で知られる黒田長政の家臣である「井上之房」の子、井上庸名(
そうして白石家は、江戸時代をとうして小出家の筆頭御家人として、検知や大阪への出張など幕臣として活躍しました。武芸では神道無念流をはじめ、戸田流などを身につけ、領地の治安維持に貢献しております。
その後の白石家は縁組を多くの旧家とおこなっており、小山家の子孫である幕末の当主「白石昌字」がいる他、鯨井、斎藤、渡辺、若山、折原、本郷、発智などの諸家と縁者となっております。
(参考資料)武蔵国葛飾郡西大輪村文書(白石家)慶応大学所蔵古文書
白石家観音堂と百観音温泉

