商品詳細

金本小札緋糸威二枚胴具足  吉久作 天文三年⬜︎月日

金本小札緋糸威二枚胴具足
兜(室町後期)銘 吉久作 天文三年⬜︎月日

筑前国高祖山城主で戦国時代の武将、原田家(大蔵氏嫡流)の伝来です。着用したのは黒田家家臣となった原田重種といい、原田家当主76代原田隆種の叔父、種益のひ孫です。なお種益の子、藤種は天正七年の第二次生松原合戦では名将で知られる、戸次道雪・高橋紹運・志賀道輝から高祖城を守りきっています。武名名高い一族所要の素晴らしい具足です。

本具足の兜には俗に「常州明珍」と呼ばれる貴重な「天文三年」「吉久作」の銘があり、常陸国府中(現在の茨城県石岡市)近辺に居住した明珍派の甲冑師が製作した兜であることがわかります。
常州明珍の起源は鎌倉の甲冑師たちがこの地に移り住んだのが始まりであり、常陸国の佐竹・江戸・小田氏らの需要を見込んでのことであると思われます。室町時代末期頃には、常陸府中は大椽氏・水戸には江戸氏が勢力を競い、常陸太田には佐竹氏、土浦には小田氏の臣・菅谷氏が、虎視眈眈とトップの座を狙っていた時代でもあります。しかし、天正十八年(1590)小田原の役で豊臣秀吉に味方した佐竹義宣が台頭すると、水戸を含め、府中は佐竹氏の領域となります。そして常州明珍は、この佐竹氏の庇護のもとで、多くの作品を世に送り出すこととなります。常州明珍の作風は、何といっても鍛えの良さにあり、鉢の形は端正で天辺に丸みがあり、筋立は高く力強く、眉庇は共鉄でやや前方に突き出し主として祓立を設けています。総じて出来の良さが鉄味の良さにあらわれており、まさに天下の名品です。

室町後期 常州 特別貴重資料 お問い合わせください

この商品に関するお問い合わせ

お問い合わせはTEL:0480-58-0224でも受け付けております
(10〜18時・火・水曜日をのぞく)