戦乱前夜の日本刀

投稿日:2024年08月27日(火)

<日本刀の作域の変遷から見える戦乱前夜の試行錯誤と戦後の作風のまとまりについて>

鎌倉末期に一文字や薙刀が流行りましたが、その後は南北朝時代の終わりには長船で規格的な作風の小反りが多く作刀されるようになります。なおその後、戦国時代の終わりと江戸時代の最初にも同じような傾向が見られます。これはおそらく戦い前夜の時点では、こういうのが必要では?といろいろ手を出して作ってしまい、果たして戦争がはじまるとこういうものさえあればいいと必要性の認識の極端化があったのではないでしょうか。その結果、一文字や青江は組織化された長船に吸収され、大薙刀の勇壮な部隊は消えて、槍が主要な近接武器になります。

その後の歴史でも幕末でも活動時期が比較的早めの直胤は比較的各種いろいろ作っていますが、その後の弟子たちの作など戦っている時期のものは前時代に比べて、ある程度規格的なまとまりがあるように思います。

なお正宗に代表される相州刀工のように戦乱に巻き込まれて消えた刀工集団も多くあると思いますが、それも後の戦国末期以外は極端な絶滅は少ないように感じます。当時の人口を基準に考えれば室町中期までは現在狭いと言われる日本でも、当時の少ない人口にとってはまだまだ広く、いろいろ逃げてやり過ごすことが可能だったように感じます。